女性を年齢で判断しがちな世の風潮のためであると思われる。 ここでタテマエをいってもはじまらないので率直に書くと、つまり、容貌の衰えがその女性の「価値」を左右する、という風潮のことだ。
だからこそ女性はみな、年は取りたくない、一歳でもいいから若く見られたいと願い、そんな女性の気持ちをあおりたてるさまざまなモノが世にあふれかえっている。 若返りエステ、若返り手術、若返りメイク、若返りヘア。
頭に「若返り」の文字がつくものが、この世にはどれだけ多く存在することか。 誰でも平等に年を取る。
どんな美人であろうと、その運命には残念ながら誰も逆らうことはできない。 にもかかわらず、現実の世界では女性には若さと美しさが求められる。
まるでそれを保つのが女性のつとめだといわんばかりに。 私も、そんな風潮にどっぷりつかったひとりである。
いつのまにか、人は誰でも年を取り、容貌も衰えるものだという、ごく自然なことをどうしても受け入れることができなくなってしまった。 だから、若さを維持するためには何でもやった。
具体的にいうと、高級外車のBに一台買えてしまうほどのお金をかけた。 しかしそれだけではない。

私は自分の心と身体を、若さを維持するためにすり減らしてきたのである。 私は二○○四年で四二歳をむかえた。
現在、美容ジャーナリストとしてテレビに出演したり、美容と老化をテーマに講演会などをおこなったり、最近では本も出版したりしているが、もともとはフリーのアナウンサーで、ラジオのパーソナリティーやテレビのレポーター、イベン卜の司会、コマーシャルのナレーターなどをやっていた。 仕事柄というだけではないのだが、(これはあとで改めてお話しする)昔から美容にはかなり気をつかうほうで、一時はものすごいコスメフリークでもあった。
しかし、アメリカで三年間ほど生活してからは、化粧品よりも美容医療に興味を持つようになった。 もともと、研究好きな性格というか、何か気になることがあるとすぐ調べたくなってしまう。
しかしあるときから、なぜかそんな自分がむなしく、寂しく感じられるようになった。 優越感にひたるどころか、自分だけが取り残されていくような不安さえも味わうようになった。
「老い」が自分の幸福にとって障害になると本気で信じていた。 だから、こんな思いをするはたくさんあった。
でも、私を待っていたのは、実際には不安と焦燥感だったのである。 それなりの「見返り」はあったかもしれない。
はじめのうちは、うれしいことも美は「若さ」なのか、「老い」は不幸なのかそう、「老醜」なんて言葉があるくらいだから、一般的には老いは美しくないとされている。 ゆえに、「若い・美しい」という構図が出来上がり、これが好ましいとされているのだ。
もちろん美の定義なんてものはあくまで主観的なものだ。 「若い・美しい」といえたとしてアメリカでもそうだったが、日本では若さと美しさが同一視されている。

「若いだけできれい」「若いうちは何を着ていてもそれなりに見える」とよくいわれている。 いわゆる「加齢」による肌のくすみ、たるみ、体の線のくずれなどがないから。
帰国後も美容に関する知識を独学だが身につけ、美容に関する知識では、日本では誰にも負けないなどという変な自信すらある。 この「負けない」には、自分の身体で体験した若返り療法の数も含まれる。
この話をするたびに、人には「何でそこまでやるの」と困惑されてしまうほどだ。 しかし、私にとっては不思議でも奇妙でも何でもなく、自然な流れであった。
「ビューティ・ジャンキー」といえるまでに美容中毒になってしまった自分のうちに「見た目重視、若さ重視」という風潮に流されたといえばそれまでだが、選んだのは私自身であったのだ。 美は「若さ」なのか、「老い」は不幸なのかも、「美しい・若い」とはならないだろう。
それに関してはまたあとで詳しく述べるとして、日本がもしフランスから、ブランド品だけでなく、ある程度年齢のいった女性もセクシーで魅力的ととらえ、尊ぶ文化まで取り入れていたなら、きっといまほど、女性たちが美容に大金を投じることはなかったかもしれない。 しかし現実には、日本にはアメリカよりも、もっと若さを追求する風潮が根強く存在する。
「あのオジサン、かわいい!」「Vの新作のバッグ、かわいいよねえ!」「×××(化粧品メーカー)の新色の口紅、かわいくない。 」と、日本人はとにかく何でも「かわいい」という形容詞を連発する。
ふつうに考えれば、オジサンに「かわいい」では何だか失礼だし、Vのバッグだって、ほめ言葉としては美しいとか、かっこいいというほうが合っているのだろうし、口紅の色も「きれい」というべきではないかと私は思うのだ。 一時、アメリカの若者が何でも連発していたのと似たものを感じる。
でも、もはやこれは、日本のひとつの文化といえるのかもしれない。 もともとは幼い、愛おしい存在に対して使われる「かわいい」を、最上級のほめ言葉のひとつにしてしまう文化って、何だろう。
そしてこの国の女性は、大人っぽくてセクシーな顔立ちよりも、幼くてどこかあどけない雰囲気を残した顔立ちのほうが好まれる傾向が強い。 売れ筋の口紅を見ても、好まれるのはピンクやオレンジ系、それも薄めのかわいらしい色で、赤などセクシーな色は敬遠される傾向にあるし、下着にしてもあまりにセクシーすぎるものより、かわいらしいデザインのほうが売れる。

そんな文化の中にいれば、世界一「老い」を気にする日本人、などといわれてしまうのも仕方ないことなのだろう。 年齢が出やすい肌の手入れに気をつかうのも、おそらくこうした風潮をあおりたてるかのように、いったい誰がつくったのか知らないが、年齢に対する「クリスマスケーキ」(二四歳までが売り時、二五歳をすぎたら値段を下げないと売れない)とか「大みそか」(三一歳まで大丈夫)とかいう、それこそ日本ならではの形容がある。
そういえば、テレビドラマでも「別歳のクリスマス」なんていうのがあった。 でも、それだけではない。
年を取るだけで、それまで保ってきた仕事の地位さえ失うことも女性の場合は多々あるのだ(実際、私にはあった)。 若さと美しさは、ときには経済的安定を確保するうえでも必要となるのである。
こんな世の中をもちろんいいとは思えないし、差別だと心の中で思いながらも、美は「若さ」なのか、「老い」は不幸なのかゴールのないものを追いかけることほど、むなしいものはない。 私もそんな簡単なことになぜもっと早く気づかなかったのだろう。
「アンチ・エイジング」という言葉は、ハッキリいって罪である。 私がこう思うに至った経緯には、一言ではいい尽くせない、たくさんの思いと葛藤があっぴらに口に出すこと自体も恥ずかしいと思い、結局は若さと美しさを同義語とする文化を受け入れざるを得ない。
こうした背景のもと、若返り手術はいかにも女性の願いをかなえてくれる、魔法の手術のように思えるのかもしれない。 しかし、目を二重にしたり、鼻を高くしたりする手術とは異なり、若返り手術には終着点はない。
なぜなら老化は止まらないからだ。 たとえ一○○万円の手術を受けたとしても、受けたその日から、また老化は進行していく。

ミネラルファンデーションを選んでみました。いつもヤル気にさせてくれるミネラルファンデーションです。
ミネラルファンデーションの底値を徹底比較しました。顧客満足度の高いミネラルファンデーションを選びましょう!
ミネラルファンデーションが帰ってきました。ミネラルファンデーションをするには努力が必要です。